エッセイ

【臨月に入って思うこと】親になる不安が、頭の中から離れない

親になる不安 臨月

妊娠生活も早10ヵ月が過ぎました。
10ヵ月といえば、それなりに“長い”期間のように感じますが、感覚的にはあっという間に臨月に入った感じ。

ここまで早く感じるのも、出産予定日がすでに決まっているからでしょう。その日程を目指して、全力疾走してきた気分。

そして予定日まで2週間になった今、全力疾走を止めてホッと一安心しているところです。

お腹も飛び出て、見た目も立派な妊婦。自分では分かりにくいのですが、客観的に写真を見ると「これはすごい!」と驚いてしまいます。体重も+12kgになり、見た目も一気にまあるくなりました(笑)

さて、そんな妊娠生活ももう少しで終わりです。
いつ産まれてもおかしくありません。あとは子どものタイミングを待つだけ。

「妊娠生活もあっという間だったなぁ」

と感慨深い気持ちでこのブログを書いています。

臨月になる。自分の変化。

親になる不安 臨月

梅雨入りし、ポツポツと滴る雨音とともに、これまでグッと力が入っていた身体も少しづつほどけていくような感覚になりました。

「無事に大きくなるのだろうか」
「転んじゃいけない」
「子どもの体調に何かあったらどうしよう」
「子育てっていくらかかるんだろう」
「眠れないなぁ…」

毎日毎日、不安で一杯だった妊娠生活も今ではすっかり慣れてしまい「妊婦前の自分ってどんなだったかなぁ~」なんて思うほどに。

そんな、不安で一杯だった私が「なんとかなるか~」と気楽に考えられるようになるまで、10ヵ月かかりました。

つわりで苦しんだ妊娠初期から、妊婦生活の不安、子育てへの不安、親になる不安、とにかく不安だらけ。それら全てをまるっと受け入れられるようになるまで、こんなに時間がかかるものだとは。

子どもが嫌いというわけではありません。

人生の中で、子どもと触れ合う機会が少なかったこともありますが、子どもは「どちらでもよかった」。そもそも結婚を諦め気味だったため、それをすっ飛ばして“子どもを持つ”ということが、微塵も想像もできなかったというのが正直なところです。

けれど病院の検診を重ね、出産予定日が目前にせまった臨月になり、自分の中に「なるようになるさ」という”受け入れ態勢”の気持ちが強くなってきました。

まあるいお腹を撫でる時、子どもの胎動を感じる時、身体の内側からじんわりとした気持ちが沸き起こる…そうか、これが“母性”なのかもしれない。

臨月になると、自分の変化も顕著になって「これもまた面白い」と感じる毎日です。

「親になる不安」は消えるのか

色んな不安を抱えながらも「心配してもしょうがないし、なるようになるか~」とアイスクリームを食べるまでの気持ちの余裕が生まれてきましたが、唯一消えないのが「親になる不安」です。

これからの人生に“母親”という役割が加わることで、「自分はどうなっていくんだろう」「そもそも、自分が親になることができるのか、いや、母親になるんだけれども」なんて葛藤が頭の中から離れません。

手放しで「やったー!最高!母親になるー!」と喜べればよかったのですが、いかんせん、はじめてなので不安な気持ちをぬぐうことができません。

育児書を読んだり、YouTubeで育児に関して必死に調べたり、色んな記事を読み漁ったり。

まだ見ぬ誰かのために、何ができるのかを必死で探る日々。

それは同時に、自分の人生がなくなっていくような感覚も生み出しました。

それはきっと、出産・育児という未知の領域に足を踏み入れる際の勇気を出すための通過儀礼のようなもの。大げさにいえば「あなたは明日から宇宙で生活してください」みたいな。

そんな感覚に近いような気がします。

親になる不安を抱えながらも、出産に臨む

親になる不安 臨月

臨月になると、身体の不調もこれまでと大きく変わってきて、子どもから最後の追い込みをかけられているように感じています。

「忘れ物がないように出ておいでね」

お腹を撫でながら、旦那さんが優しく語りかけています。そう、忘れ物がないようにね。

不安な気持ちはきっと私だけじゃなくて、旦那さん、そしてお腹の中にいる子どもも同じ。これから、安心できるあったかいお腹の中から、色んなことがある「世界」に来るんだもんね。一緒に不安な気持ちを抱えながら、一つひとつ味わいながら、一つひとつ乗り越えていきましょう。

親になるのは簡単です。でも、良い親になるのは話が違うのかもしれない。

それでも、なんとかやっていこう。まるっと受け入れていこう。

そして、自分の人生を忘れずに輝かせていこう。

「あなたは、忘れ物だけしないように出ておいでね。」

臨月になる今、私の気持ちはこれまでにないくらい、ゆるりとのんびりと構えているのです。