別居して“自分の心の声”を取り戻すまでの話~ある日、良性発作性頭位めまい症を発症した~

別居 心の声 夫婦 問題

パソコンに向かっている今この瞬間、わたしの心は、とても穏やかで落ち着いている。

まるで、水面に小さな波も立たない、凪(なぎ)のように。

心の中が不安と不満と絶望に埋め尽くされ、トゲが刺さっているような感覚は、1つもない。

(まるであのときとは、別人のようだ)

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フーッとため息をついて、大きく背伸びをする。

上を向いて、首を傾け、手を上に伸ばしてストレッチをする。

パソコンチェアがギギッと音を立てる。

(そういえば、このチェアも、旦那と一緒に古道具屋で買ったっけ)

ぼんやりと、そう昔でもないことを思い出した。

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さざ波のような、心がざわつき、ネガティブな感覚に飲み込まれそうなときは、今もときどきある。

けれど、必ず戻ってこれるという確信がある。

「わたしは、ネガティブな感覚を選ばない」という自信がある。

なぜなら、わたしは“あの時期”を乗り越えたのだから。

これは、今から1年前、30代女性が1歳の子どもを連れて家を飛び出したことから起こった、超個人的な話だ。

目次

ある日、「良性発作性頭位めまい症」を発症した

冬が終わりを迎え、桜の開花に関するニュースが、ちらほらと目に入るようになった時期のある日。

わたしは、「もう限界だ」と思った。

視界がぐるぐると回り、耳の奥がキーンと鳴り続け、パソコンの画面上に書いてある言葉の意味が理解できない。

ライターとして仕事をしているわたしには、致命的な状態だった。

「言葉の意味が、理解できない…」

そのときの絶望的な感覚は「あいうえお」のどの言葉でも説明することができない。

(仕事もクビになるだろうな)

とうっすらと思った。どうしよう、わたしには1歳の子どもがいるのに。

旦那がいるから大丈夫という感情は、一切なかった。

わたしは自分と娘を守るために仕事をしていたのだから。

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「良性発作性頭位めまい症」と診断されたのは、それから5日後だった。

薬は効かない、行動療法しかない、と耳鼻咽喉科の医師に言われ

「かなりきついと思うけど、とにかく目眩をおこして。そうしないと治らないから」

(どおりで、この前に行った内科の薬が全く効かないわけだ)

と思った。原因は不明だが、間違いなくストレスだろう。

旦那への信頼感はゼロだった

当時、旦那への信頼感はゼロだった。

仕事はできる人だが、“自分が正しいと思ったこと”を、何が何でもやらないと気が済まない。

それがたとえ、わたしが「嫌だ」と伝えたことでも、やってみないと気が済まない。

そりゃそうだ、その押しの強さと行動力が仕事で評価されているのだから。

扶養の範囲内で働いているわたしの声など、仕事主義の旦那には、一切届かない。

共働きでバリバリ稼いでいる女性が好きであろう旦那は、わたしを下に見ていたのだと思う。

それがたとえ、子どもを妊娠して、初めての育児で戸惑い、育児家事をしながら、寝不足で働いている人間だとしても。

「効率的にできるんじゃないの?」「なんでこうしないの?」

と言われ、何も言い返せなかった。

言い返す気力もなかった。

恨んでいた、とても。

ただただ、労わってほしかったのだろう。

ここには書けない、心がえぐられるような、たくさんのことがあった。

そんなある日、大喧嘩をして、身体も心も限界だったわたしは、置手紙を残して、子どもを連れて実家に帰った。

駅で両親を見つけたときは、年甲斐もなく、大泣きした。

大量に出血して、身体がバラバラになるような痛みに耐え、子どもを産み、ほぼ寝ずに育児をして、つねに「子どもが死なないか」と気を張り、家のことも頑張っていたのに、

なぜ、こんなことになってしまうのだろうか、とむなしさと悔しさと悲しみを感じていた。

車に揺られると、1歳の子どもは疲れていたので、ぐっすりと寝ていた。

夜を迎える、薄暗い明かりの中、ヘッドライトが照らす風景は、10数年前となんら変わってはいなかった。

(帰ってきちゃったんだな)

と、ぼんやりと思った。

好きになれなかった故郷に、10数年ぶりに住むことになった

仕事はフルリモートだったので、上司にありのままを話し、実家で仕事ができるようになった。

この人は、仕事ができるだけではなく、人の心に寄り添ってくれる数少ない大人だと思う。

命の恩人だと、心から思う。

寒いところにある故郷は、決して“好きなところ”ではなかった。

18歳で上京した時の解放感は、今でも覚えている。

「じゆうとはこのことか!」と、毛穴の隅の隅まで、全身で自由を感じていた。

「OIOI」を「オイオイ」と読んでいたけれど、「そうなんだ…!すごい!」と感動したものだ。

何もかもが、自分の意志で決められる、電車に乗ればどこにでも行ける。

とても刺激的だった。

なぜそんな風に思っていたのか、この理由は、のちのちはっきりと分かるようになる。

そんな人が、10数年振りに故郷に住むことになった。1歳の子どもと一緒に。

(人生、何があるか分からないものだな)

と気楽な気持ちで思っていた。

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目眩は2カ月も続いた。

その間も、さまざまなことがあった。

わたしの頭の中は、離婚、シングルマザー、貧困など、主にネガティブな感情で日々埋め尽くされていた。

でも、旦那と離れたことで、ほっと安心したのか、倒れこむように寝れるようになった。

これが功を奏して、不思議と気持ちに余裕が出てきた。

子どもを出産してから、数時間もまとまって寝るのは初めてだった。

というよりも、私の人生の中で、こんなに寝ているのは初めてだったと思う。

「旦那とのことは置いといて、まずは自分のことに集中しよう」

ふとこんな考えが浮かんだので、夫婦間のことは、全部放り投げることにした。

転職を考えるも「軸がない」ことに気が付く

どちらにせよ、シングルマザーになるのであれば、娘を育て上げないといけない。

そのためには、「経済的自立=仕事だ!」と思い、転職を考えた。

  • 「稼げる仕事だ!」と思いプログラミングスクールを調べまくる
  • 地元での就職も視野にいれて求人を知らべる
  • データサイエンティストがよさそうという“なんとなく”でスクールの受講を考える

など、「完全に軸がない」状態だったのだ。

東京で自由気ままに生きて、仕事をして、自分で選択をしてきたはずなのに

なぜか、軸がない。

“なにがすきなの?”

“あなたがやりたいことは?”

“ゆめは?”

こんな問いをかけられたら、あなたはなんで答えるだろう?

わたしは、その場しのぎでさもありそうなこと、を言っていたと思う。

つまり、本気のことがなかったのだ。

  • 楽に生きていきたい
  • 不労所得があれば楽そう
  • 稼げればいい

と、適当に生きていたのだと分かった。

(これじゃダメだ。何も変わらない)

“自分を変える”必要がある、と思った。

こんな自分が本当に嫌だ、と夜中に泣いたこともある。

あいつのせいだ、なんでこんなに合わないといけないんだ、と夜中に人を恨んだこともある。

今は、その気持ちはない。

そして、自分を変える必要がないというのも理解した。

なによりも問題だったのは、“自分のことを知らなかった”ということだ。

そしてわたしは、家族について自覚して、自己分析のために「自己理解プログラム」を受講することにした。

これと、その他にさまざまな要素が加わり、自分の心の声を取り戻すことができた。

「自己理解プログラム」については、今度詳しく書こうと思う。

母親が毒親だと初めて気が付く

その間も、家族の間でさまざまな問題が発生した。

主に「母親」との関係性だった。

(この人、毒親じゃない?)

と30年以上生きてきて、初めて思った。

今思えば、

  • 父親の悪口をえんえんと聞かされる
  • 怒る=殴られる
  • 何かを聞かれた覚えがない=わたしに興味がない
  • 「こうしなさい!」がとにかく多い
  • 他の人の悪口が多い(TVを見ていても)
  • 「親の言うことを聞きなさい」が多い

こんな人だった。

そして、わたしの前で「寂しいのよ…だれも私のことなんて分かってくれないのよ」と言いながら、泣くような人だった。

ただ、明るくて華やかな人なので、友達も多い。

しかし反面、こういった「支配的な面」が強い母親だった。

(すっかり忘れていたけれど)殴る、叩かれる、怒鳴られるという環境で育ったわたしは、性格がどこか歪んでしまっていたのだと思う。

それは主に、男性不信につながっていた。

父親の悪口(愚痴)を聞かされていたわたしは、父親を好きになれなかった。

というよりも、

(大好きな父親なのに、大好きな母親を泣かす人、だから好きでいちゃいけないんだ)

幼いころからそう思っていたのだと思う。

そして、それを他の男性に求めてしまっていたのかもしれない。

(なるほどね)

と大きく納得した。これは、わたしの心のトゲを一つ外してくれた。

それから、潜在意識のワークや、毒親のワークに取り組んだ。

これは、直接的に心に平穏をもたらしてくれたわけではないけれど、かなり効果があった。

そして、自分自身がなぜ「長年生きづらさ」を感じていたのかを理解した。

「わたしの子どもには絶対に連鎖させない」と、心に固く誓っている。

そして、ここで分かったことは、

  • 依存と執着
  • 人生の軸
  • 主体性

ということだった。

そして気が付いたのが、「わたし、人生の主導権まで旦那に預けてじゃん」ということだった。

これは、わたしの中で「ぱんぱかぱーん」というファンファーレが鳴るほどの気付きだった。

そう、眠いし疲れているし、子どものことを考えなきゃだし、で「主人のいうこと聞けばいいか(どうせこっちが何を言っても聞いてくれないし)」を優先したのだ。

わたしは、「自分の心を後回しにしていた」という大問題に気が付いた。

「自分の人生を他人に預けるってどういうこと!?」と、わたしの中のギャルが叫んでいた。

そう、それが一番の大問題だった。

わたしは、無意識に人に依存して執着していたのだと、やっと気が付いた。

「自分の心を大事にしないとダメだ」と、心から思った。

だから目眩が起きて「おーーーい!自分を大切にしてーー!気が付いてーー!」と身体が悲鳴を上げてたんだと思った。

続く

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